一人で何でも出来るもん信仰

一人暮らしをして結婚して家を建て、そこに自分の両親を住まわせ同居し、古い実家を解体する事は、果たして実家暮らしから脱却出来たと言えるのか問題。
家新築しただけで、人増えた状態で結局実家暮らしに逆戻りじゃねぇか!テセウスの船の家版かよ!っていう。
人生に箔付ける為のトロフィーハウスだったのか、結局見栄かよと半笑いしたくなるアラサーの夜。

一人暮らし信仰と、実家軽蔑は何時から始まったのかも知りたい様な、知りたくない様な。
ただ、核家族の増加と、大家族と地域共同体の希薄化も大いに関係していると思う。
あと戦後のアメリカ式思想の普及も。
実家軽蔑は、ネットとSNS普及による「理想の家族の暗部」がネタバレした事で、家族というものに対する失望と絶望が大きく後押ししていると思う。

実家暮らしはみっともない、だけど結婚していればノーカン、実家を継いだ事になるから。
しかし、家族が増えたり、新たな住まいで親と同居する時点で一人暮らしではなくなるのだ。
そこで一人暮らしは一人前は終わる。
そしてネクストステージ、独身VS既婚へ。
この矛盾から脱却する為には、独身一人暮らししか選択肢がない。
だが、これを実行すると今度は結婚していない奴はみっともないという、別の実績解除の重圧が伸し掛かる。

しかしながら、これら実績は大概「半径200メートル以内の近所の目線」であり、日本中世界中の圧倒的大多数は、この実績解除しようがしまいがお前に興味はないし、だいたい個人の被害妄想。
でもみんな一人前と認められたい、そのみんなが脳内住民であっても。
所詮家族間の問題であり、第三者が茶々入れてその通りにしても、第三者は褒めるどころか矛盾したまた別の茶々を言う事もある。

家族に対する謎のトロフィー感と軽蔑が同居する、矛盾塊の中に見出されたのが「一人で何でもできます」かもしれない。
異様な「一人で何でもできるもん!」は、競争でテッペンを目指し、完璧さを求められた末に爆誕した、堕し子みたいなものかもしれない。
でも一人で何でもできるという事は、無茶振りが利くの裏返しであり、人ではなく人型の万能器具として見做されていないとも言える。

そういう事で、独身VS既婚・実家VS一人暮らしのうんこ投げ合いを見ていると、「好きにせえお前の人生やろ、レスバ相手どうせ脳直上の空でスマホポチポチしてるぞ」って思うのです。

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