感情表現が生まれつきポンコツかもしれないという話

時には身の上話を。

自分は同年代同世代と比べてノリがクッソ悪く、大してはしゃぐ事もなく、大学時代は浪人生と間違われるくらいのおもんないヤツだった。
中学生時代は担任から「能面」と罵られた程度におもんない。
どうやらノリの悪さは赤ん坊の時代からだったみたいで、母曰く「おとなしくて手のかからない子」だったらしい。
予防接種の時も泣き喚く事なく、「かんじょうがない」という文字が似合う程度に、真顔で無感情だった事から、医者がかえって心配する程だったらしい。

なお自分の家庭環境は劣悪という事はなく、親ガチャ家庭ガチャはかなり良い方。
親も厳しい躾はしておらず、私が望むものを与え、旅行にも行きまくった。
これは母が多忙な職種故、日中は殆どコミュニケーションが取れていなかった反動で、せめて我が子の望むものは与えようと思っての事だったらしい。

その結果自分は中高生時代に「もう何も買わなくていい」と、申し訳なくなった程だった。
「金がねぇから我慢しろ」ではなく、与えまくることで安心感を与え、逆に欲を無くす戦法が見事に成功していた。
これは、自分の生まれながらの「おもんない性格」が見事にマッチしたから成功したんだと思う。
親はおそらく早期に見抜いていたんだろうなって。

保育園時代から一人遊びが好きで、友達とつるむ事は多々あれど基本マンツーマンの友好関係で、家ん中で絵描いたりゲームしたりする時間の方が相対的に長かった。
その結果、アラサーにもなって絶望的友達関係の狭さ。
心を赦している数少ない知人であっても、あまり生活に踏み込んでまで交流するのは相手にとって失礼ではないかと恐縮する程度の狭さ。
無理に友達関係を広めようなら、自分の「おもんない性格」が「どうせメンタルボンバーするからやめとけ」とブレーキをかけるのである。
これは幼少期から今も変わっていない、おそらくきっと多分。

そういや心から馬鹿笑いしたのは、家で面白いネタを見てツボにはまった時くらいで、普段はアルカイックスマイルで鼻で笑う程度の反応の薄さ。
年取る程ツボにはまる範囲が激狭になり、面白くても「ハハッ」と短く笑って終わり。
ただ、最近は加齢のせいか、涙腺崩壊の許容範囲がクソ雑魚になってしまった。
これはここ数年の無意識のストレスの影響もあるかもしれないけれど、こんなんでベソかくか?ってくらい、しょーもないお涙頂戴でベソかいたり、想像して涙零れたりはする。

自分の感情表現のドへたくそさや共感力皆無さと見せかけて変なところでポンコツ共感になるのは、おそらくもう生まれつきのもので一生死ぬまでこのままだと思う。
接客業やってて営業コミュニケーションはまぁ良くなったとは思うけど、それはあくまでも仮初の技術であって、素はマジで「おもんない性格」です。

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