SNSオタククリエイター界隈のルッキズムとエイジズムと呪い

前回の日記の続きみたいなもの

神絵師が持て囃された頃に、年下の神絵師に嫉妬するオッサンオバサンとか、身なりをきちんとして化粧をバッチリ決めているオタクやクリエイターに謎の対抗意識を燃やしたりする人とかが可視化されるようになった気がする
いや、勝負するのは作品であって、年齢や外見で張り合うのはネット上においては五の次くらいだろってツッコミは通用しなくて、なんだかなーって。

インスタ映えやキラキラ系が持て囃されるまでは、こういったどす黒い感情の吐露はあまり聞くことはありませんでした。
せいぜい2ちゃんねるの非モテスレに行かない限りは。
ですが、インスタやキラキラ系が流行り始めて、自撮りが流行ると、やはり外見をどうしても気にしてしまう。
オフ活動しているならば、多かれ少なかれ清潔感は気にしますが、ネット上だと自分から晒さない限り、年齢も外見も分からないと、頭では分かっていても。
(年齢は喋っているネタでだいたいバレる事がありますが)

若くて一級のプロほどの技量を持つ人に嫉妬したり対抗意識を持つのは、自分が培ってきた年数と努力の積み重ねが、否定されたと思うからじゃないでしょうか。
相手は何もしていないのに、プロフィールを知った時点で「自分の努力が否定された!」と無意識に判断してしまう。
なので、たられば感情で若さと外見を渇望してしまう。
これはやられた側からすれば、理不尽な逆恨みです。

ですが、オタククリエイター界隈でエイジズムとルッキズムが重宝されるのはせいぜい20代まで。
30代以上となると次第に技量も頭が揃い始め、みんな仲良くオッサンオバサンの仲間入りなのでどうでも良くなりますし、武器にもならなくなります。
でもやっぱり10代20代の若手に嫉妬してしまう。
そこには過去の自分への呪詛とたらればが隠れている。

インスタ映えが起きて少し経った頃に、伊達マスクが一部で既に流行っていたコラムを見た日記を以前書きましたが、隠す事で老化チェックのアドバンテージとなるほうれい線ががっつり隠れるんですよね。
そういった「若い神絵師の肉食いたい」的な、外見年齢主義に認知が歪んじゃった層が、今のマスクで魔女狩り回避バフだぜ!な環境を支持し有難がっている傾向にあると思う。
(私はそういう風潮辟易してますが)
ですが、隠した所でほうれい線がある事実は覆りませんし、せいぜい「若い」か「老けている」かの二つの可能性が同居する、シュレディンガーの猫状態を形成しているに過ぎない。

自撮りブームによる、オタククリエイター界隈へのエイジズムとルッキズムの侵略ついでに、リア充渇望も増えていった。
そのリア充像ってのも、手垢の付いた高度経済成長~バブル期のイケイケの焼き直し。
いやいやいや作品作ってアップするだけならそこまで求めなくても…と思ってももう止められないやめられない。
一体この先どうなるんだと思っていたら、インフルエンサー殺しのアルゴリズムや仕様になりつつあるSNS界隈。

アンタ、あの子と仲いいやろ?優先的に表示しといたるでな!
ついでにアンタの好きそうな情報も取ってきたで!
…というバーチャルお節介おばさんAIの登場で、数多のフォロワーを付けてトップダウン式に情報発信するインフルエンサー系は大打撃を受ける事になる。

バーチャルお節介おばさんAIは、草の根クチコミと信頼を何よりも重視する古典的設計。
そうなると当然、外見年齢ステータス至上主義も意味を成さなくなる。
フォロー・フォロワーももはや刺身の上のタンポポ。
不特定多数にアピールする事で効果を発揮する、まだ見ぬライバルに向けた攻撃力低下デバフだから。

Tumblrが再度若者に注目されたのも、一つにインフルエンサー不在という点が考察されていました。
もう今の若い子らは、アイドル的活躍をするネットユーザーに飽きてきていて、未だキラキラインフルエンサーの亡霊にしがみ続ける我らアラサーアラフォーは、ネットの流行戦力外通告のイエローカード二枚目で、あと少しでレッドカードまで来たのだろう。

そのような亡霊を打ち砕くには、一度外に出て街を観察するほかないのかもしれない。
オタククリエイターの坩堝であるTwitterのアルゴリズム変化の衝撃は、閉塞感打破の礎になるのかもしれない。

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